2月21日 讀賣新聞 よみうり文芸
2015年 02月 21日
電柱の歩道を狭め立ちており手押し車は車道に降りる
相模原市中央区 落合征夫
旧い道がそのまま舗装されたような所でよく経験することである。加えて車の出入り口辺りは、削り取られ段差までできている。形式的に設けられた歩道の所以である。
夜のくだち苦みし容貌(かほ)に老人が家伝の「兼元」ひたすら磨く
厚木市 井上勝朗
その切れ味の良さで知られる「兼元」。心落ち着かせようと、無心に老人が光を磨いているのであろう。
書き初めの一筆目までたゆたへる心あるらし子は墨を磨(す)る
瀬谷区 古山智子
墨磨ることは心鎮めることか。前出の歌の刀を磨くさまとも通じる。「良し!」と思ったら一気呵成。
ぎゅうぎゅうに生姜(しょうが)の力詰めこんで浪人生に弁当もたす
中原区 大平真理子
本人には長い一年でも、人生にはほんの一瞬。親はただ「頑張れ」とエールを送るだけ。
その昔就職列車で三河島リヤカーで菓子を配達せし町
小田原市 渡辺 一弘
かつて金の卵と称され、若い中卒の子どもたちが東京近辺に運ばれてきた。そんな十五,六歳の子供たちも、生まれて初めて親元を離れ不安と緊張の連続であったに違いない。「就職列車」「リヤカー」「菓子」が、時代と親の思い、子の思いを代弁しているようである。
<俳句>
鶏小屋の鶏のかたまる寒夜かな
横須賀市 白田富代
寒い夜は身を寄せ合って耐えている。それはまた、見えない敵から自分たちを守る生きる知恵でもあろう。
反り返る癖をさまらず新暦
中原区 深田典征
くるくると丸まっていた癖はなかなか取れないものである。逆に丸めて無理やり平らにしたつもりでも、時間が経つと、、、。一か月は去年を引きずっているようである。
腰越の岩に動かず冬鷗(かもめ)
麻生区 天野啓治
腰越はまた義経の無念をも想起させる。鳥は飛んでこそ鳥である。ただひたすら時を待っているのであろう。
<川柳>
花野まで蛇行で辿る縄電車
相模原市南区 坂本嘉三
途中下車した友もあるかもしれない。でも思いはずっと昔のままである。ゆっくりと、あっちこっちの縄電車である。
お見舞いにやはりこれしかない訛(なま)り
港北区 山本喜太郎
都会の人ごみにも、耳聡くお国訛りを聞き分けることがある。故郷は五感がそれを覚えている。訛りは時間も場所も越えてしまう。見舞われた人はさぞや嬉しいことであろう。
検診のはしごにもある如是我聞(にょぜがもん)
瀬谷区 秋道博一
飄々とした感じがなんとも言えない。病院によっては「鬼手佛心」なる、やや押しつけがましい書などを待合室に掲げているところもある。 「如是我聞」。無用な衝突を避ける知恵でもあろうか。
by kanitachibana | 2015-02-21 17:05 | 俳句 | Trackback(26) | Comments(0)