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5月23日 讀賣新聞 よみうり文芸   

<短歌>
高麗山(こまやま)に添へたる富士を確かめんと花水川まで出でて眺めつ
                                 大磯町 大久保 武

 おそらくは昔は家からも見えた富士であろうが、今は環境が変わっている。花水川の固有名詞がまたいい。人も家並も変わっても、やはり変わらぬのは山と川である。

<俳句>
風吹いて岸離れけり花筏(いかだ)
         鎌倉市 長谷川州寛

 花を筏に喩え、その筏をまた人に喩える。花は風に此岸を離れていく。

蘆の角吹かるるほどに育ちけり
     茅ヶ崎市 久保田紀子

 川岸などににょきっと突き出す蘆の角。その角状の若芽が綻びて葉が開いたんであろう。風にゆらぐ様が見えてくる。

ひと握り野三葉摘みて卵汁
      秦野市 細谷幸子

 野三葉の摘める環境に暮らしてらっしゃるのか、はたまた山歩きが好きでその折に摘んだものかはわからない。いずれにしても自分で摘んだ三葉の卵汁は格別に違いない。生活に心のゆとりがないと、こうはいかない。

朽舟の舳先のうつり水温む
      港南区 竹村清繁

 焦点をぐいぐい絞っていって、最後に「水温む」。視線を落とし切ったたところに、また訪れくる春。新しい舟がまた沖に出て行くことであろう。

風が組み流れがほどき花筏
      三浦市 吉原博義

 元々は花びらの一枚一枚は、ある程度の時間差があって川に降ったものであろう。それが集まって筏となるのは「淀み」の成せる業かと。それでもああして流れている様を見ると、やはり何らかの集合の力が作用しているように思えてくる。


塗り替へて百葉箱や黄水仙
       瀬谷区 伊藤 浩

 今もペンキで白く塗った百葉箱はあるのだろうか。かつてはどこの学校にもあったように思う。風通しの良い白い百葉箱。そして黄水仙。色の対比も心地よい。

<川柳>
十指みな涸れて介護は終らない
         鎌倉市 神川敦子

 思わずため息がもれてしまう。一人っ子通しの結婚。苦労して建てた家には子は戻らず。環境はどんどん変わって行く。それでも人は順番に老いていく。答えはあるのだろうか。

たまゆらの影さんざめく人の葦
    海老名市 やまぐち珠美

 人の世のああでもないこうでもないと言い合っているのは、神様にしてみれば実にどうでもいい事かもしれない。しかし、だからこそ泣いて笑ってにぎやかに生きていきたいという気がする。

少年の読書欅の空を指す
   横須賀市 白田富代

 寝転んで本を読んでいるのだろう。欅は空に届かんと枝を伸ばしている。少年の夢と同じである。

後輪が転んで進まぬ縄電車
     鎌倉市 山下すみ子

 前輪駆動であっても転んだ子を置いて行けない。幸いに、到着の時間もそんなにうるさく言う人もいない。暗くなるまでに着けばいいのだから。

by kanitachibana | 2015-05-24 17:09 | 俳句 | Trackback | Comments(0)

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