第50回子規顕彰全国俳句大会 その2
2016年 01月 11日
箱庭に月をながむる椅子を置く
愛知県 古賀勇理央
自分が箱庭の中の人となっている。いや、誰かのための椅子かもしれない。
軽々と城を載せゆく日傘かな
愛知県 古賀勇理央
大仏を背にして、両手で大仏を持ちあげているようなポーズで写真を撮っている姿を眼にしたことがある。
出来上がった写真は、まったく大仏を持ちあげているようだ。この句は、日傘という飄々とした感じが面白い。
ひょつとこに祝儀を弾む祭客
今治市 田窪トラ子
よっぽど見事な踊りだったのだろう。酒宴のような楽しさも伝わってくる。
床の間に虎の眼光夏座敷
大州市 津田操
山藤の昇りつめたる高さかな
松山市 佐々木真理
山藤も自分も、気が付けばもうこんな所まで来てしまった。
子規庵の秋草色を尽したる
東京都 鈴木伊都子
夏座敷座れば連山立ち上がる
松山市 井出博子
山笑ひ海笑ひ嬰泣いてをり
松山市 櫛部天思
元気に嬰児の泣くのを、みんなが見守って笑っている。本人にとっては甚だ不快であろうが、元気に泣くのが嬰児の大事な仕事である。
傍らにゐて母とほし桐の花
松山市 岡本典子
あんなにもしっかりとした母親だったのに。この人の心は何処を彷徨っているのだろうか、、、。表現こそちぐはぐだが、傍らにいる温もりだけは感じ取っていてくれるはずだ。
風通すつもりが昼寝母の家
松山市 西村スミ
家は人が住まなくなると、どんどんダメになっていく。せめて風を通そうと帰った実家だが、やはり生まれ育った家の安心感、心地よさがあるのだろう。いつの間にか眠りについてしまった。
蒲公英に保母が跼めば子等跼む
松山市 岡本久夫
休日の小学校や雀の子
今治市 横田青天子
人がいなくなった村は、雀もいなくなるという。雀は人と共に生きているのである。
雀はいつもちゅんちゅんと鳴いているのだが、子らの歓声の聞こえない休日には、ことさら元気な鳴き声に聞こえてくる。
下手でよし下手の泣かせる村芝居
新居浜市 三浦八重子
来るぞ来るぞ、、、と分かっていても泣いてしまう。結末は分かっていても、やはり我々は感動を待っているのである。
湯上りの白き踵や霜の夜
神奈川県 さとう亜麻衣
郭公や本籍いまだ湖の底
岡山県 伊藤 曻
本籍はいとも簡単に変えることができる。転居の度に変えている人もいる。その人が現住所を本籍と書けば、そこが本籍となってしまう。だが、生まれた土地への愛着は、たとえ湖の底だろうと簡単には捨てられない。
抱き上げし幼の眼にも梅雨夕焼
伊予市 三原正實
この幼い子が大人になった時、夕焼けを見る度何か懐かしい気持ちになるのはこういった記憶からだろう。
風の底より抜け出せぬ糸蜻蛉
香川県 岩瀬由美子
熊蝉のこゑに始まる島の弥撒(ミサ)
松山市 岡本典子
暮らしの中に心の拠り所を求めていく。その歴史と敬虔さを感じ取る。
映る火を水の流して虫送
香川県 中村 仁
火をかざして農作物から害虫を追い払うこの儀式は、見ていて(動画だが)心を動かされる。虫送りでありながら、その土地に住む者の安寧を願う祈りのようである。
水口の水に躓く田掻きかな
岐阜県 福井英敏
狭い水口から流れ込んでくる水は静かだが勢いがあり、水も盛り上がるようである。その水の勢いを体で感じ取られるのは、やはり田で働く人だからであろう。
土に書く野球のスコア椎の花
兵庫県 桃原晴美
見える山見えてくる山袋掛
徳島県 先山 咲
黙々と仕事をしていると、なかなか周囲のことまで気が回らない。まして絶えず動きながらの仕事である。ふと視線を遠方の山に移すと、見えてくる山まで変わってきている。
手花火や明日の別れを口にせず
今治市 木原美和子
花火には別れのさびしさがある。そんな予感がみんなを無口にしていく。
開校碑ありて閉校田水張る
松山市 弓矢登志子
子の教育のために、その土地のみんなが協力し合って作った学校であろう。だが今は子の減少で、生徒数りも教師数が勝っているところもあるようだ。時代というものだろうか、、、。だがそこに住む人の生活は続いて行くのである。
石鎚を仰ぎて幾世打つ田かな
奈良県 福田えいじ
by kanitachibana | 2016-01-11 16:34 | 俳句 | Trackback(16983) | Comments(0)