<読売俳壇>
はこべらや鶏飼ひたしと思ふほど
香芝市 中村 翠孝
暮らしが当時とは変わっているが、はこべらをただ雑草として処理してしまうのはあまりに忍びない。鶏の大好物なのである。連れてきて食べさせてあげたい。こここことついばむ姿が見えてくるようだ。
廃校の校歌を青き踏みながら
佐倉市 広康よしあき
ポストまで出会う人なし春の風
呉市 藤岡 賢
水平に燕雲雀は垂直に
津市 中山 道春
牛鳴けば山羊も鳴きだす厩出
木津川市 田中 茂治
燕来よ障子一ますくり抜いて
海南市 前田 汐音
邸宅を取り巻く桜これはこれは
神奈川県 中島やさか
公園の桜の見ゆる喫茶店
松山市 久保 栞
<読売歌壇>
わさびの花峡(かい)にしろじろと咲きいでて天城古道の春ひそかなり
足利市 熊田 敏夫
中空の茎が支えるタンポポの花の重さか母と暮らせば
東大和市 月舘桜夜子
時折に体の中を風が吹き抜けるような気持ち。現実を支えている者にしかわからな感覚かもしれない。
東京の恵比寿東の路地裏のあの下宿屋に夢ばかりの私
広島市 稲垣 珠恵
「の」を重ね、どんどん照準を絞って行く。そしてその行きつく先には、時間と未来は無限であると信じていた自分がいた。「夢を見ていた自分があった。」という思い出があるだけで、これがまた生きていく力になるから不思議である。