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8月3日讀賣新聞   

<読売俳壇>
半夏生いつか一人の朝が来る
    千葉市 松村千恵子

口に指夫を制す時鳥(ほととぎす)
      周南市 木船 君枝

叔母の名はイネ・モミ・サナエ青田風
       大牟田市 田頭 俊博
 人の名にはその当時の思いが込められている。よって時が移れば、その思いもまた形を変えてくる。時間の流れはなんとも寂しいものだが、青田風の心地よさががそれを慰めてくれる。

紫陽花を描くあぢさゐに囲まれて
      志木市 谷村 康志

白南風や犬の小次郎尾を上げて
     土浦市 細井 五男

辣韭を引けば砂丘となりにけり
     香芝市 中村 翠孝

鶏糞のにほふ近道蛇苺
相模原市 大谷千恵子
 相模原はおいしい鶏卵で知られているが、それを産む鶏の鶏舎は確かに臭う。風向きによってはかなり遠くまで臭いが届くことがある。ただ「臭い」というのは生産者側に非のあるものではない。かつてはたくさんあった鶏舎も、宅地開発等によりその居場所を追われてきている。作者は経緯をご存じの地元の方であろうから、「にほふ」という表記に思いをこめられたのであろう。

しばらくは母子狸を網戸ごし
    見附市 徳橋よし子

ふと屈みそのまま草を引きはじむ
      久喜市 深沢ふさ江


<読売歌壇>
呆(ぼ)けが来た心やすらかに呆けて行こうホームの皆はとてもやさしい
                    かすみがうら市 木村ケイコ
 作者はやさしい方なのであろう。およそ身に起こりくるものは受け容れて、なお周囲に対しても気遣いを見せている。自分に言い聞かせているようなところが哀しくもある。

亡き妻が冷えたスイカが食べたいと言いたる長き夏がまたくる
                  横須賀市 鈴木 定夫

帰りたい帰って野菜を作りたい転倒の媼(おうな)医師に訴う
                   岩国市 井川 栄子

若き日に君住みし街を訪ね行く武蔵小金井貫井北町
              横須賀市 木村 将
 目に映るものは変わっても、心はまったく自由である。あの通り、あの店あのアパート。みんな昔のままである。

一筆啓上都知事殿アラートやウィズコロナには漢字のルビを
                  東京都 唐木よし子

4連のヨーグルト切り離すごと順に立ちゆく朝の食卓
               船橋市 矢島 佳奈

梅雨晴れの風にふくらむカーテンに東へ進む船になる家
                平塚市 小林真希子
 風にふくらむカーテンを帆船の帆とする幻想的な歌である。たいていは自分を定位置にし周りの変化を歌うものだが、ここでは自分を含めて家ごと滑り出していく不思議な感覚を引き出してくれている。

日曜日に君が倒せし助手席の角度そのまま赴任地にゆく
                 福島市 大槻 弘

短冊に子供のころに書いたこと忘れたけれどきっとかなった
                   東京都 武藤 義哉
 日々の暮らしはその日その日が精いっぱいで、自分がどこに向かっているかさえ忘れてしまう。いや忘れるというよりは、考えたくもないのかもしれない。
 小さい頃の願いって何だったんだろう。私も忘れたけど、とりあえず叶ったことにしておこう。

残雪の冨士浮きたてり継ぐ子なき畑の草ひく梅雨晴れの朝
                 足利市 熊田 敏夫

夏雲の湧き立つ空に行進の看守の太き号令ひびく
             山形市 美峯 好誠






by kanitachibana | 2020-08-08 12:41 | 俳句 | Trackback(4) | Comments(0)

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