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カテゴリ:短歌( 154 )   

読売歌壇 10月14日   


ゆるやかに霧が流れて街角はマントの男を待ちておりたり
                 垂水市 岩元 秀人
 幻想的であり、なんとなく風の又三郎を思い出させる。幼い頃に読んだ童話や物語の主人公を、我々はずっと待ち続けているのかもしれない。いくつになっても。







by kanitachibana | 2019-10-19 19:57 | 短歌 | Trackback(171) | Comments(0)

5月27日 讀賣新聞   

<読売歌壇>

たちばながあなたの山に咲きました たちばなの山にあなたがいます
                      伊勢市 浜口佳津美

たましいの中に入ってゆきそうで振り返らねばのぼれぬ桜坂
                  枚方市 松井 美枝
さくらの中にいる時、自分自身がその風景の一部にすぎないと考えてしまう。嗚呼我もまた旅人か。







by kanitachibana | 2019-05-28 21:59 | 短歌 | Trackback | Comments(0)

第33回全国高等学校文芸コンクール入賞作 短歌   

できたての春のひかりをことごとく
      集め桜よをみなごに降れ
   青森県立八戸1年 谷地村 昴

三好達治の「甃のうへ]を下敷きにと言われておるが、きらきらとした青春の賛歌である。
うらやましい。こんな時代は一瞬であろうが一瞬であるからこそ美しい、と今はそう思える。

 ちなみに石川達治の詩も記しておこう。
 リズムが心地よく、何度も声に出して読みたくなってしまう。


あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音あしおと空にながれ
をりふしにひとみをあげて
かげりなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺のいらかみどりにうるほひ
ひさし々に
風鐸ふうたくのすがたしづかなれば
ひとりなる

わが身の影をあゆまするいしのうへ



by kanitachibana | 2018-12-08 17:46 | 短歌 | Trackback(345) | Comments(0)

  

 
二人子を亡くした母がわたしならいりません絆とかいりません
                 小島ゆかり『泥と青葉』

 9月27日読売新聞文化欄に紹介されていた歌である。
 朝出がけに読んで言葉に詰まり、夜帰ってきて読んでまた涙が出そうになった。
 大震災を詠んだものであろうが、私も常々この「絆」という言葉の使われ方には甚だ違和感を感じている。いや嫌悪感と言ってもいいだろう。

 もちろん被災地の人々を心から心配し、何とか力になりたいと思っている人も多いだろうし、実際何らかの行動を起こされている方もいらっしゃるだろう。
 ただ一時期「絆」という言葉が流行りとなり、業務用の車にやたらとその類のステッカーが貼ってあるのが目に付いた。「絆」はもちろん、「がんばれ○○」「わたしたちは一人じゃない」とかのそれである。

 制限速度そこそこで走っていても、容赦なくパッシングを浴びせ追いこして行くトラック。そのくせ道路が込んでいる時などは、のろのろ運転が不得手なのか、前の車が進んでもずっと発進しないままである。これが逆ならクラクション乱発ものだろう。
 そしてそういった車の後部には、たいてい「絆」のステッカーが貼ってあった。

 ファッションや上辺だけの絆は要らないのである。たとえ悪意はないにしても、その安易な使い方が、さらに当事者の心を空ろにしていくこともある。

 言葉(言)と行動(成)が一致して初めてとなる、と聞いたことがあある。










by kanitachibana | 2018-09-27 23:39 | 短歌 | Trackback | Comments(0)

いやなものはイヤ   

 とかく理詰めで生きている大人(だいたい男)にとって、理屈の通じない子供(特に女の子)はやっかいである。これこれこうだから、こうしなさいと説明しても納得してもらえない。1+1=2の大人の土俵に乗ってこないのであう。
 例えば夏の夕方の花火遊び。
 花火を手にする時のサンダル履きは甚だ危険である。火の粉が素足を直撃し、やけどさせる事など十分に考えられる。線香花火のあの赤い球がポトリと、、、などと思うとゾッとする。
 でも子供には、その親心も理屈も全く通用しない。「イヤ!」の一言で一蹴されてしまう。困ったものだ、、、。
 されど女親は強い。ペシッと頭を叩いてサンダルをもぎ取り、無理やり靴を履かせ手を引っ張って連れて行ってしまう。子供もその時は嫌がるが、しばらくたつとそんな事などケロッと忘れ、喜々として花火遊びに夢中である。

怒りつつ洗うお茶わんことごとく割れてさびしい ごめんさびしい
はなこさんがみかんを三つ買いましたおつりはぜんぶ砂にうめます
                          東 直子




by kanitachibana | 2018-08-19 18:50 | 短歌 | Trackback | Comments(0)

歌会始の儀より   

那須の野を親子三人(みたり)で歩みつつ吾子(あこ)に教(おし)ふる秋の花の名
                       皇太子妃雅子さま

霧の立つ野辺山(のべやま)の朝高原の野菜畑に人ら勤(いそ)しむ
                        秋篠宮紀子さま

月夜野(つきよの)の工房に立ちひとの吹くびーどろはいま炎(ひ)にほかならず
                      選者 今野寿美さん

放たれて朝(あした)遥けき野を駆けるふるさとを持たぬわが内の馬
                       選者 内藤明さん

如月(きさらぎ)の日はかげりつつ吹雪く野に山中(さんちゅう)和紙の楮(かうぞ)をさらす
                     岐阜県 政井繁之さん

歩みゆく秋日(あきひ)ゆたけき武蔵野に浅黄斑蝶(あさぎまだら)の旅を見送る
                     東京都 上田国博さん

筆先に小さな春をひそませてふつくら画(えが)く里の野山を
                  千葉県 斎藤和子さん

父が十野菜の名前言へるまで医師はカルテを書く手とめたり
                 東京都 西出和代さん

積み上げし瓦礫の丘に草むして一雨ごとに野に還りゆく
               宮城県 角田正雄さん

野原ならまつすぐ走ってゆけるのに満員電車で見つけた背中
                  東京都 鴨下彩さん

 1月13日に歌会始の儀があった。以上はその中からの抜粋である。また、敬称は讀賣新聞の記載のままであるが、入選者に「さん」が付くのが興味深いし、年齢順というのも面白い。一般の短歌や俳句の入選者発表ではなかなか見ないことである。いずれにしても、年長者への敬意と人に対する敬意は悪いものではない。
 今年のお題は「野」。
 震災を経験した宮城県角田さんの歌、若い感性の東京都鴨下さんの歌などが特に印象的である。









by kanitachibana | 2017-01-15 22:45 | 短歌 | Trackback | Comments(0)

尾崎左永子歌集「薔薇断章」   

 11月22日付神奈川新聞「かながわの歌壇時評」において、中川佐和子氏が歌集を紹介している。
 尾崎左永子歌集「薔薇断章」である。夫と一人娘を病で亡くし、ひとりとなった尾崎の歌ということだ。

 そのどれもが心を打つものなので、中川氏が抄出した歌をそのまま書いてみたい。


梨花白き夕闇のなか少しづつ失ひし時の量を悲しむ

八重咲きの白き木槿の花閉ぢてひそかに蔵(しま)ふわが心の喪(も)

娘(こ)の最期と知れどすべもなき病棟に人とは畢竟(ひっきょう)ただ禱るのみ

お前はもう充分堪へた吾娘(あこ)の死を褒めつつその髪撫でゐたりけり


逆光の街歩みをり抱へ来しなべての憂ひ照らさるるまで

夜おそく帰りし父にもらひたる遠き記憶のマロン・グラッセ

青葉濃き鎌倉山のほととぎす人想ふこころ剪(き)るごとく啼く


あるときは夢に来て咲け薔薇いくつこの世に咲かぬつぼみの未生

by kanitachibana | 2015-11-29 16:55 | 短歌 | Trackback(87) | Comments(0)

10月12日 讀賣新聞   

<読売歌壇>
阿弖流為が曳かれし道かみのり田は案山子ならびて秋津むれとぶ
                               大阪市 原 正樹

 「成敗」という言葉がある。善が悪をやっつけるという意である。力と力の勝負では、勝った者が正義であり善である。よって、負けた者は「成敗された」ことになる。歴史が善を決めるのである。阿弖流為にいかなる罪があったかは知らないが、正義は一つでなければならないのだろう。案山子と秋津(とんぼ)がまた哀れをさそう。

滅びにはあらず命を根に留めて秋を枯れゆく草のしづけさ
                         山口市 岡田貞義

 「老兵は死なず、ただ立ち去るのみ」とはマッカーサーの弁。冬に耐える強い意志をも感じる。

五〇年前虫追いしわが友は会社を退(ひ)いてまた網を持つ
                           東京都 野上 卓

 長い間仕事に追われてきたが、これからは自分のやりたいことをやる。少年の日の思いは、消えることなくずと胸に残っていた。さあ、自分ならどうしようか。。。

by kanitachibana | 2015-10-12 23:23 | 短歌 | Trackback | Comments(0)

6月28日 神奈川新聞   

<神奈川歌壇>

ひらがなに書けば七文字のみなりき囲炉裏に習い学校に入る
                           横須賀 杉田禮子

 ノートも鉛筆もたやすく買えない頃は、囲炉裏や火鉢の灰に字を書いてもらい覚えたものである。書くにも消すにも手間が要らず、何よりもお金がかからない。七文字は自分の名前であろうか、それとも「いろはにほへと」であろうか。今となっては、教えてくれた「人」が恋しいことであろう。


死に支度せねばと思ふ吾ながら春さり来れば花の種蒔く
                        港南区 本多豊明

 蒔かねば咲かないということを作者は十分わかっている。蒔いてどうするんだと思いつつ、あの花の美しさを知っているからまた蒔いてしまう。人も草も花も全部自然の一部であり、たえず生死を繰り返しながら繋がっている生命なのだ。

by kanitachibana | 2015-07-01 21:21 | 短歌 | Trackback | Comments(0)

讀賣新聞 1月24日 よみうり文芸   

<短歌>

陽だまりに対校戦のコマ回し山の分校意地を見せたり
                   伊勢原市 山田ゆたか

 子どもたちを見守る視線で詠われたものだろう。一緒になって喜んでいる姿が浮かんでくる。

家路への坂に息継ぎふと思う丘に新居と憧れし頃を
                     厚木市 小菅建夫
 坂の上の我が家は夢にまでみたものだ。だが年をとってくると、いささか難儀な面が出てくる。若い者は通勤に便利で管理の楽な所を選ぶし、戻ってこようともしない、、、。だが、坂の上の家も駅近のマンションも、思いはやっぱり「坂の上の家」である。

実生から育てし庭の沙羅の木よ見上げて我はこの家離るる
                       茅ヶ崎市 伊原美代子

 前の歌と通ずるものがあるが、庭の沙羅の木なども家を持つ時の憧れの一つである。自分より大きくなった沙羅の木は子の成長ともとれるし、はなはだ感慨深い。

病室より眺める波の青々と暮れゆく漁港に船帰り着く
                    小田原市 渡辺一弘

 海は相変わらず真っ青で、今日も何事もなく暮れようとしている。朝出た船も夕方には戻ってくる。おそらくはその始終を作者は見ているのだろう。わたしも港に戻り、また広い青い海に出て行きたいものだ。昨日のように。

by kanitachibana | 2015-01-24 18:13 | 短歌 | Trackback | Comments(0)